酔いどれ先生のICT備忘録

最近のアクティブラーニング教育事情、最新ガジェットについて綴っています。

学校も変わらなければならない時代

1990年代のバブル崩壊からはじまり、1995年の阪神・淡路大震災、そして2008年のリーマンショックを経て、2011年の東日本大震災。精算人口が減り続けていく現状からすると、通常、民間の発想では、マーケットが縮小すれば適正規模に縮小して身の丈経営で生き残りを図ります。しかし私学の場合、在校生・卒業生が存在するため、容易に潰すことはできないという発想になってしまい、「適正配分」ができていないのが現状です。つまり、困難を強いられたまま具体的な解決策を見出せず苦しいまま「ただひらすら頑張る」という状態に陥ってしまっています。

 

建学の精神が第一 

私学にとって建学の精神を守り抜くことは一貫して最も重要です。とはいうものの、国や自治体から助成を受けている以上、国民や県民の意見を無視することはあってはなりません。理念を守りつつ時代のニーズに合致した教育を実行し、それに対応しうる教職員を長期に渡って確保することが求められています。

 

逆に、自らの私財をなげうって創立した創設者の魂(建学の精神)をなくしてしまうのであれば、私学の存在意義はその時点で無くなるに等しい状態となってしまいます。企業でいうところに企業理念において私学は、地域の就学人口など行政の裁量によって新設・統廃合される公立校よりもその強みは大きいのです。

 

能力開発のあり方を模索する必要がある。

人事採用

私学にとって有能な教職員を確保することが何よりもの最優先事項です。新卒採用に限っていえば、公立の教員採用試験に合格できなかった人材が私学に仕方なく来ているということも少なくはないです。これでは学校に通う生徒があまりにも可哀想だと思います。とはいえ、民間企業のように早期囲い込みに走ってしまうと学生の本業である学問が疎かになってしまうという教育者にとっては痛し痒しの側面が見え隠れしています。

 

研修制度

研修制度においても、公立では立派な研修施設を構え、研修専門の教職員を擁し、中長期的な教育研修プログラムが確立されていますが、私学のそれはお世辞にも充実しているとはいえないのが現状です。そこで、公私が協調し公教育の充実をめざすためにも両者が一体となった研修制度が作られないものかと感じます。公立サイドからすると確かに私学は公立の美味しいところだけをとって行くのか?と非難されそうではありますが、しかしそうすることで生徒や保護者、県民や国民の負託に応えることにつながるのであれば大いに実践していくことが望ましいのではないかと思います。

 

まとめ

私学は国や自治体からの補助金を受けているとはいえ、やはり収入の大半は学納金で占められています。一つのほころびがやがては大きな穴となり、気づけばふさぐことのできないほどの事態に発展してしまうのが学校の怖いところです。一発逆転を狙うことなどそもそも的外れな考え方であって、しっかりとした教育を成立させるためには、足腰のつよい財務体質、財政基盤が必要です。しかも、学校の会計というのは年度の初めに収入が確定してしまいます。それ以上年度の途中で増えることなどない特殊な組織です。だからこそ、無駄な支出を減らし、無借金経営をすることこそが健全な教育活動へと結びつくものだと信じて止みません。

 

 

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

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